シナモンインクR&Dセンター(仮)

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十月六日の富士日記

武田百合子『富士日記(中)』(中公文庫)より。昭和四十三年十月。

 

 十月六日(日) 快晴

 六時に目が覚めると晴れている。もう一度ねて起きたら九時過ぎで、庭によく陽があたっていた。主人はテラスで日光浴をしていた。

 庭の花は終わってしまった。咲き残っている松虫草の花びらは、白っぽく紙のようになってしまっている。赤い実がなるトゲトゲのある木が、今一番元気がいい。リスかイタチのくる足音かと思うと、一枚ずつ木の葉が落ちる音だ。

 富士山は薄く煙って全身が見える。五合目から下の樹帯は茶色く黄色く変色してきている。五合目の建物のガラスか屋根が、一個所だけ雲母色にキラキラ反射し続けている。

 夜 栗ご飯、ロースハム、ほうれん草とごぼうのごま和え、なめこ汁。

 御飯を終えて、主人とモンのところまで月を見に出る。六時ごろ、東の空の月は大きな黒い雲の中に隠れて、光だけが洩れている。今夜は仲秋満月の上に、日本では今世紀最後の皆既月食だ(主人の話)。コーヒー牛乳を飲んでから、テラスで出てみる。七時半ごろ、月は三分の二になっている。テレビでは「日本では大正十二年以来のことだ。八時十分には皆既月食となる」と騒いでいる。主人は面倒くさくなって八時前にねてしまった。

 一人でテレビをみている。思い出して外に出てみると、月はどこにも見えない。赤紫色の空だ。何だか怖くなって、大急ぎで家に入る。九時になって、そうっと外で出てみると何もない。気持わるい。月食などというものは恐くて気持わるい。テレビでは「九時十四分(?)に又、月が出てくる」といっているが、おう気持わるいので、出てみないことにする。

 テレビで。山梨県は昭和二十八年以来の、八月からの異常低温で、稲作の冷害が出はじめている。穂坂町では農林省の奨める寒冷地向きの農林十七号(?)を植えた人は、十パーセントの被害で済んでいるが、収穫量の多いヤマビコ(?)を植えた人は、七十パーセントから八十パーセントの被害が出ている。両種が隣り合っている田は、明らかにそのちがいが出ている。忍草村の長田さんは、他の人より早く植えつけをして(高冷地のしきたり通りに)被害を最小限にとどめて成功している。以上。

 今日は、昼間陽があたったせいか、夜になっても温かく、ストーブを焚かないでいる。

やっぱり文学が好き

 ふっきれ感が出てきたところにひとつの思いに至った。つまり、小説が好きだなあって気持ちで書かれた小説を読みたいしそんな小説から書き出せばいいじゃないか、と。どこからが不調かと言えば切りがないが、至近では、散歩をさぼるヨガ友をさぼる身体がツラいやる気も出ない気後れする死にたいとは思わない酒に頼る眠れない夜中に飲み食いする等々の悪循環の泥水に泳いでいたが、九月に入り起床後の鼻炎がひどく今週ビタトレール鼻炎錠Sを購入、そうやって鼻を始めヨガ友や散歩の日課を取り戻し身体の調子が上がってきていた。つい今聴いていたのは大河『いだてん』の演出・大根氏が出演していた源ちゃんのすっぴんである。大根さんの作品について源ちゃんが「映画が好きなんだなあって」と、最近公開されたタランティーノの『ワンス・アポン……』を引き合いに出して言っていた。そうだよね! 好きなんだなあって気持ちだよね。荒川洋治さんの『詩と言葉』(岩波書店・二〇〇四)の最後は一昨日読み返していた。そこから引く。

 

 詩は、少しづつ、新しくなる。これまでになかったものを求めていく。

 一九四五年生まれの批評家、松山巌の『建築は ほほえむー目地 継ぎ目 小さき場』(西田書店・二〇〇四)。建築を論じた本だが、その文章の多くは行分け。つまり、詩のかたち。

 

  もう一度、

  あなたが好きだな、

  気持ち良いと感じる場所について考えてみよう。

  その場所はいろいろな要素が「ある」のではなく、「ない」のではないだろうか。

  ものが少ない。

  大勢の人がいない。

  匂いがしない。

  雑音がない。

  そして巨大ではない。

 

 こうして、少しずつ進んでいく。明確にしていく。読む人の呼吸に合わせるように。詩のかたちが、生かされた評論だ。文章には、こんな書き方もあるのだ。楽しい。夢がある。これからのことばの姿かもしれない。詩の姿かもしれない。

 

 この本から十五年が経ているが、この十五年はまるで停滞をしていたのだから問題はそこではないしかえってこれが十五年前に先端でさらに先を思って書かれた言葉なことが問題だ。

『いだてん』は面白い。大友さんの音楽もいい。いろいろいい。

 また昨日今日は保坂さんの新刊『読書実録』の発売日だ。明日は鎌倉のたらば書房で買ってどこかいい店で読もうか。週末は京都に行くことにもしようと考えている。徳正寺での保坂さんのトークライブは去年秋にも申し込んで行かれなかった。『読書実録』も、本が好きなんだなあ小説が! という本なんである。

 十月いっぱいを目先の目処として、『読書実録』的『いだてん』的タランティーノ的にいろんなことをし始めれば良い。好きなことをして楽しく過ごせる限り。

 

詩とことば (ことばのために)

 

読書実録

二月四日(日曜日)、五日(月曜日)、六日(火曜日)

 一日一日を大切にしているつもりだが、寝る前に日記を書くなどしなかったある日の記憶は具体的輪郭をもってよみがえらない。つい「あっという間に三日が過ぎた」と言いそうになる。いや、これまでいつもそういう物言いをしてきた。三日もあっという間だったし、十年もあっという間だった。でももうぼくは時間の流れがあっという間であるなんてことは言わない。十年一日の解釈が変わる。

 二月四日をつつがなく過ごし、翌五日は仕事のはずだった。しかし午前二時をまわっても眠れなかった。もう月曜日の仕事はダメだと観念する。

 

 五日、早朝にいつも通り午前五時台に海ちゃんと起床。発熱の気配。風邪の感あり。朝飯を食い、二度寝をし、午前九時ごろ二度目の起床、咳も出てきた。夕方、瞑想関係の本をKindleで読む。K女史に瞑想アプリをすすめられる。早速ダウンロードし、万端に使えるようがっつり課金した。さっそく寝しなに四十分の瞑想。怖い夢を見る。

 

 六日、体調は回復傾向。熱を計ったら平熱以下だった。一日出掛けず。海ちゃんは完全室内でいるのでぼくも完全室内でも悪い謂れはない。日中も何度かいくつかのバージョンで瞑想を試みる。心の扉をわずかづつ開く。

二月一日(木曜日)、二日(金曜日)、三日(土曜日)

 二月に入った。一日、早朝に一旦起きるも海ちゃんのために一階窓を開けてまた布団に戻る。この早朝に海ちゃんが起きてぼくを起こしに掛かるところでそれを全面的に受け入れて潔く起床することを原則にしたい。冬の午前四時から五時はまだまだ暗闇だが、六月ともなれば関東の午前四時半はもう明るい。

 仕事に出るも昼過ぎまで休憩。まだ仕事をしない段階から休憩に入る方法を一月から続けている。これも本来的ではない。働き方改革の試行の一環を自然と行っているのかもしれない。ただし漫然と試行ばかりしていてもしょうがなかろう。そろそろフィードバックの頃合いだ。

 結局それなりの時間まで頑張って深夜帰宅。

 

 二日、はっきり起床したら午後二時だった……そういう記憶だ。これを書いているのがすでに二月四日なので細かいことは忘れている。日記を書くのはその日の終わりが原則であるが、たまには翌朝でもいいし、たまには数日をまとめて書くのもよかろう。臨機応変を健康的に。これが働き方改革。

 

 三日、早朝に寝床で目が覚め掛かるも、もうその時点でダメなのがわかる。風邪である。電話を入れて仕事を休む。本来、この程度で仕事を休むなんていうのはちょっとゆるすぎるとも思う。倫理的にどうということで言えばずいぶんフリーダムになってきたけれど、自分にとっての理想的健康状態ではないことが違和感のもとなのだ。そういえばまだずっと若い頃、ものすごく動くひとだと思われていることもあったが、その頃自分は思うように動けないひとであった。外から見える私と私にとっての私にあった乖離はひとつのバロメーターで、思うように動けないひとなのにものすごく動くひとだと思われている時は良い状態だと言えるのではないか。

 半日は寝床に臥せってiPadで雑誌などをめくる。深夜、賢太日記を読んでいると宝焼酎とかウインナーとかコンビニの唐揚げとか蕎麦とかを食いたくなったが腹も張っているので諦めて就寝。

一月三十日(火曜日)

 午前五時過ぎ、起床。とは言っても起きてはすぐに寝床に戻った。海ちゃんの為に一階の窓を開けただけで一緒に遊びもせずに。八時近くなってから電話して仕事を休む。この休むことについても、思うところはある。休んじゃえば非常な解放感がある一方で、なにかに苛まれもする。それはほぼ金の問題と言っても良いだろう。休んじゃおうと思う時は「金は問題じゃない」と考えているのに、休んでしまうと金の問題がじわじわと攻めてくるような感じだ。実際はそんな単純な話ではないのだが。

 そういうわけでのんびりと二度寝、そしてこんどこそ起床。

 昼を挟んであれこれ金についての調べ物に勤しむ。これまで白眼視していた仮想通貨についても考えてみた。

 夕飯は豚肉。今朝、休んだ理由としてはやっぱり体調不良なのである。気力は体調に大きく左右される。継続的習慣性の強さは健康な時に作っておかねばならない。夜も更けてきたら鼻の調子悪くなり眼がかゆくなり今夜についてはくしゃみが多く出る。あたたかくして寝床にもぐるしかあるまい。海ちゃんが部屋に戻るのを待つ。

一月二十九日(月曜日)

 ひさしぶりに、かつて書いていてようにはてなで日記をつけてみようかとここの設定やらなにやらをしてたのが昨夜。寝て起きたらM女史から写真が一枚、LINEに届いていた。写真は西村賢太『一小説書きの日乗 不屈の章』の単行本の表紙だ。Kindleにサンプルをダウンロードするとはたしてそれは日記であった。

 午前五時、海ちゃんに起こされて起床。二度寝を画策するも眠らず。昼は四年ぶりのマサキと約束をしていたので車で出掛ける。ピザの店でマサキの娘(四つ)と三人でランチ、公園で遊んでおいとましてきた。

 帰宅して海ちゃんと遊び、寝転んでiPadでいくつか雑誌をめくり、夕飯はスーパーの寿司、湯船につかってから寝る支度完了が二十一時。いまこれを書いているが海ちゃんがかまってくれかまってくれと言っている。

 

一私小説書きの日乗 不屈の章

一私小説書きの日乗 不屈の章

三月二十六日(月曜日)…四月十日(火曜日)

 土曜日の深夜、日付も変わって日曜日になっていた午前三時過ぎ、ひさしぶりに散歩に出ていた多摩川の河川敷で、不意のインパクトを受けることとなった。ぼくらの自由を守らなきゃいけない、とぼくは言った。それらやりとりの末にインパクトはあったのだけど、まったく個人的に過ぎるこれについてはいつかなにかのかたちで書こうかと思う。そんな河川敷散歩から三日、部屋で茫漠とした気分で寝転びながら、高橋源一郎吉本隆明江藤淳のやりとりのうちに、彼らだけにわかるように流れる共感のようなものについて、書いているもの、それと、今年の大江健三郎賞の選評(もちろん大江健三郎が書いたもの)を読んで、多摩川の河川敷でぼくが彼女へ送った、ぼくらの自由を守らなきゃいけない、と言ったその自由について考えた。ぼくが言った自由とは、彼女の、ほんのときたま見せる本音の吐露のような、しかしこの数年はほんのときたましかメールのやりとりをしないあいつはメールに本音の吐露のようなことを書いてくるのだけど、そういういま彼女が抱える違和感を言っているようなことについて、彼女が失いたくないと言っていることを言ったのだ。高橋源一郎は、吉本隆明江藤淳の共感について書きながら、緊急の課題と永続する課題、の併存について提示していた。大江健三郎若い女性作家(今年の大江賞綿矢りさ)のこの十年の孤独と修練に言及していた。さて、これについては日記に短く記せるものではなさそうなので別に書くこととします。ひゃ〜
 そんなわけで三月三十一日から四月一日に書けては京都と南紀をまわって帰ってきたりして、二週間あまりの時はあっという間に流れさって行きました。

三月二十二日(木曜日)三月二十三日(金曜日)三月二十四日(土曜日

 何年もの日々の積み重ねがあって今日がある。そういうことは毎日に言えるが、話に展開がある、なにかがやってきた日となると、いつでもそれがあるとは限らないのはここだけの話ではない。なにもない日々を淡々と記述するとか、とても長い時間をほんの数行、ひどいときは数文字で流れさせるとか、そのためにはたいしたことのない日を延々と積み重ねていきながら途中で展開があってはならないわけだけど、ぼくはお話には展開が欲しい。愛子さんの引っ越しを手伝ってくれないか、と連絡してきたのはT江だし、なぜにT江とここまでの時間で個人的で信頼をともなった関係を……あー! まあいいや!! そんなわけで愛子さんの引っ越しを手伝ったら愛子さんともこれまでと距離が変わった、そんな日だったのだ。それが土曜日。
 木曜日も金曜日も、帰宅してあっさりとなにかを食べて眠くなって、とくだんの展開もないままに就寝した。金曜日は翌日の引っ越しの手伝いが楽しみだったからすこし違った。土曜日の引っ越しのあとは島田クリーニングへ顔を出したら閉店後そのまま島田家でご飯をいただいてあれよあれよと午前二時まで島田とくっちゃべって帰宅が午前三時。まだ元気があったので散歩をしたら二時間歩いて午前五時。ぼけっとしてるうちに身体が冷えて風呂に一時間、布団に入った時には充分明るくなっていた日曜日の朝。俺は自由だが頭も身体も眠気に支配されて不自由だった。疲れたら眠らねばならない不自由にうまく調子を合わせてこその自由があった。
 自由の続きで日曜日は覚醒時、自由に妄想の空を飛ぶ。ちゃくちゃくと実現させるべき想像が描かれつつある。こりゃあ、書くことは書くこととして早いところなんでいいから書かねばならないよ、ということにも気づいた。やっぱりぼくは、語り始めを探しているのである。
 木曜日、朝、卵とレタスをはさんだトースト、コーヒー。ランチ、サラスパ、あんパン。夜、肉汁うどん(冷)、フルーツグラノーラ。深夜、コカコーラゼロ。金曜日、朝、忘却(食べたものがなにか忘れた)。ランチ、カップラーメン、いちごのスイーツ(日本橋三越物)、チョコスフレ。夜、肉汁うどん(温)、フルーツグラノーラ。床で毛布をかぶったらそのまま寝落ちして九時間睡眠。土曜日、朝、トースト一枚。おそめの昼、ちらし寿司、からあげ、わらびもち。夜、コロッケ、味噌汁、綺麗に炊けたご飯(島田くんちで)。日曜日、ブランチ、トースト一枚、(すこし置いて)キャベツのペペロンチーノ大盛り。夜、ヨーグルト。就寝前、腹が減りすぎてお吸い物(土曜にもらったインスタント)。

三月十九日(月曜日)三月二十日(火曜日)三月二十一日(水曜日)

 あ、いつもニャロメ日記(仮)をMacBookAirで書いていたのだけどこの日記をシネマディスプレイ(でかい)で開いたら文字が思いの外大きいのだった。そのまえにぐぐーるでニャロメ日記を検索してみるとちゃんとニャロメ日記(仮)が結果にずらりと並んだ。そんなことしか書けない今日は昨夜寝しなになぜかエンジンの掛かった頭が自由に飛翔したため寝付かれず、午前四時でもまだ布団の中で覚醒していたからである。今日は散歩もしたが寝る支度もおおよそととのえて午後十時。まあまあである。午前四時まで寝付かれないくらいにきのう、春分の日の夜になにかに着火した。なもんだからこの走り書きのような日記にも書きたいことはあった。しかしぼくももう眠らねばならない。かつて、さて準備万端、ねるぞーという段になってハテ、なんかそのまえにすごーくたのしみなことがあったはず、なんだったけ?ありり?と考えるも思い出せぬ、しかたなしに就寝を決断して電気も消してふとんにもぐったところで気がついた、そうだ俺は眠るのがたのしみだったのだ! そんなこともあったが、きょうは違う。いまのたのしみは、今宵ちゃんと眠って明日にはすっきりしたあたまになってまた、このあたまが自由に飛翔することだ。あすの夜にはきっとうまいこと飛翔から軟着陸を果たし、エンジンを切り替えて夢の中を飛翔することだろう。
 月曜日、朝、トースト一枚、珈琲。昼、パン二個。夜、もりそば二人前、フルーツグラノーラ。夜その2、かけうどん。火曜日、昼過ぎ起床のブランチ、ピザトースト、シュガートースト風味のペースト大盛りトースト。夜、ドライブ中、チョコクッキー。夜食の頃、サラダ大盛り、ヨーグルト。水曜日、朝、中村屋インドカレー(レトルト)。昼、骨なしチキン(ミニストップ)、あんことホイップのパン(好き)。夜、サラダ、トースト一枚。
 あと、きょうの朝日朝刊で、ずっと毎月第三水曜日に連載されてきた大江健三郎の「定義集」が最終回だった。不意に気づくが、光氏がいなかったら大江さんはとっくに自死していたのではあるまいか。あるいはいまの仕事を終えると自死を選ぶひとなのではないか。あるいは、とも思うが、伊丹十三のあとを大江さんは追うことは選択せず、出来る限りに生きるはずだ、そういまのぼくが思うのは八割。最後まで注視せねばならないと気づいた大事なこと。

三月十七日(土曜日)三月十八日(日曜日)

 金曜日の夕方に帰宅して、日曜日の深夜、日付が変わって月曜日午前二時まえに燃やすゴミをすぐそこのゴミ集積場へ出しに行くまで部屋から一歩も外へ出なかった。玄関扉は日曜日の夜に楽天で買ったシューケアセットを郵便局員のにいさんが届けに来た時に開けた。土曜日はずっと雨が降っていたし、日曜日の朝方もなんか雨が降っているような、夕方になってもあらためて雨が降っているような、そうだったし、なんかごろごろしているしかしようもない感じであったような、なんである。うだうだしていた割りには洗濯もちゃんとし洗い物もひとつも溜めることなく、そして日曜日の深夜に燃やすゴミはスーパーのビニール袋にして10袋を出したし、寝転んだり飯食ったりしながらやその合間に何人かの作家の小説を黙々と読んでもいた。ごろごろしながら眠り込んで目覚めしなに見た夢は、ぼくの脳みそが部屋にいながらも時を歩んでいることを明らかにするようなものだった、ような気もするがそのあたりはよくわからなくもある。我ながら不思議だが、この土日で読んだもののなかでぼくももっとも癒し、感情の土壌に深く鋤を入れてきたのは田中慎弥が書いた男の子と女の子が出てくる小説の一章であった。語り始めを、ぼくは探っているのである。
 土曜日、ブランチ、ピザトースト二枚、コーヒー。夕方、唐揚げを使ってロコモコ的プレート大盛り。夜、サラダとヨーグルト。日曜日、ブランチ、三浦半島のキャベツでペペロンチーノ大盛り。夕方、トースト一枚(ピーナツバター)。動いていないにしてはよく喰ったかもしれない。

三月十五日(木曜日)

 会社の同僚女子が、きょうは午後六時から東京タワーが嵐カラーになるのを見に行く、と言った時に、一緒に行きませんか? と誘われたのをぼくは即刻、いやいやきょうはだめだあ!みたいな感じで拒絶したからか、退社の時にこちらからその女子へあらためて、見に行きますか!と言ったら今度はぼくが断られた。そんな前置きがあったからこその出来事の次の点はたちあらわれるもので、相当疲弊した今週のだるい気分を涼しい顔で背負ってぼくはいつも通りに浜松町から山手線に乗り、恵比寿駅で日比谷線に乗り換えるところだった。菊名行き電車が到着し、ホームのいつも乗る扉の前にぼくが立っていると扉が開き、数名の降りる人が電車からホームに出てきてホームから乗る人が三人ほど電車のなかへ入ったのでぼくもあとに続いて電車に乗ろうとしたら、車内の奥のほうからひとりの女性が降りようとしている。女性が目に入った瞬間、ぼくはそのひとが元女房殿であることがわかった。元女房殿であることがすぐにわかったのでぼくは咄嗟に意識もせずに至近から刹那、元女房殿の顔を凝視した。元女房殿はホームに降り、ぼくは電車に乗り、まわりの誰にもここにこんなすれ違いがあることなんか絶対にわからないまま、元女房殿の後ろ姿を見やり、ホームの柱の向こうに元女房殿があっという間に見えなくなって扉は締まり、いつものごとく日比谷線は中目黒へ向かって走る。
 ちょうど去年のいまごろ、同級生の結婚式のあと目黒駅アトレのロビーでも、似たような不意打ちで元女房殿とすれ違った。離婚以来連絡も取らずに来て、きょうすれ違ったのが元女房殿を目にする二度目のことになる。まだやっぱり目黒あたりに住んでいるのだろうか。ぼくがいつも乗る日比谷線の駅のぼくがいつも乗る扉から元女房殿が降りるということはいつもの通勤経路に地雷があるということだろうか、と考えたあとに、そういえば去年のちょうどいまごろ同級生の結婚式のあと…、と思いだしたので、そんなに頻繁にすれ違うこともなかろうと考え直す。中目黒駅に到着して改札を出て歩き出すころ、話しかけるべきだったのだろうか、と目玉をぐるりとさせるようにして三秒、やっぱり話しかけられなかったし話しかけなくてよかったんだと思い直す。話しかけるかどうかなんて考えるんだから、話しかけなくて良くて当然だろう、と。
 元女房殿とすれ違った! なんてことを伝えられるひとは少ない。ぼくの離婚のことや元女房殿を知っているひと、それも知っているだけではなくて、ぼくの存在やぼくの元女房殿の存在がそのひとの人生のあるページに輪郭のある登場人物として居て、このきょうという日もそのひととぼくがそれぞれに関わりあって重なり合う物語の展開のうちに生きている、そういうひとでなければ、元女房殿とすれ違った! なんて話してもしょうがない。というか、それ以外のひとには原則としてそもそも話せないし、話したらイケナイだろう。そしてぼくは、元女房殿とすれ違ったと、この出来事を伝えられる数少ないひとへメールをしてから、おもむろにツイッターに、元女房殿とすれ違ったと書き込んだ。
 知らないひとへ届く個人的で切実なメッセージは存在しうる。メッセージを伝えるべきひとは、扉の向こうの見えないところにいる。電車から降りる元女房殿にぼくは気づいたけれど、ホームから電車に乗ろうとしているぼくに元女房殿は気づかなかった、この非対称は、ぼくが気づいていないときに、誰かがぼくに気づくような出来事がどこかの時点で起こっている、そういうかたちで本来は対称性をもった世界の、目に見えてぼくが知っている一部の世界の姿なのだ。
 朝、ロコモコプレート大盛り(ご飯、レタス、トマト、玉ねぎ、焼肉、超半熟目玉焼き)、コーンスープ。昼、ツナポテトパン(小)、チョコ好きのためのチョコクロワッサン。夜、コーンスープ(この日記を書いたらあたためていただく)。このあともうすこしなにかを食べて散歩に出るかもしれない。誰かが名乗りを上げれば、おしゃべりに出かけるかもしれない。このいまの、ぼくのまわりの世界の事物との距離をあらためて測りたい気分の今宵が金曜日の夜で良かった。土日はすこしあたらしいところを歩けないか、一歩を踏み出してみるつもり。

 朝、天ぷらうどん。昼、チキン、菓子パン。夜、コーンスープ。一日経ったらあとのことはよく覚えていない。洗濯をしたし、翌朝のご飯の仕込みもしたし筋トレもしたし、ちゃんとしていた。本も読んだけど、散歩はしなくて日記も書かなかった。そういう日だ。相変わらずの欲求はある。どちらかと言えば、欲求は強まっている。

三月十四日(水曜日)

 本日午後九時五分、千葉県東方沖を震源とする地震があり、千葉県銚子市茨城県神栖市震度5強を観測したが、地震の本震はそのおよそ四時間前、金杉橋の会社事務所を震源として起こっていたのである。その影響でまさとも君は社用車で市川まで往復し現金を運び、みんなでめずらしい残業までしてしまい、事務所でカレーの出前を取り、一階テナントの中華屋からビールまで持ってきて飲んじゃったのである。残業ののちまさともくんは、浜松町から山手線には乗らず増上寺の方へ歩き出し、大門脇を通り芝公園を抜け東京タワーの足をくぐり六本木から鳥居坂、有栖川公園、広尾商店街、などを経てガーデンプレイス、恵比寿駅、そして中目黒まで歩いて帰宅したのだった。途中、恵比寿駅まで女子と一緒に歩いていたことは内緒である。
 朝、マグロ丼、納豆の味噌汁。昼、ローストチキンスパサラダ。夜、ロースカツカレー、卵サラダ、ビール。はふぅ。

三月十三日(火曜日)

 やっぱり町田康は面白いし、阿部和重も独特で強い。そしてきのうきょうのぼくを支えているのは源ちゃんだ。いま散歩しながら源ちゃんの去年の対談録音を聴いていた。散歩の途中で実家近くのスーパーで買い物をしたのだけど、刺身も買ったし肉も買って、天ぷらも買って納豆も買った。もちろんそれだけじゃない。充実のキッチン。しかし今晩の飯はフルーツグラノーラ。散歩中にシュークリーム一個。昼は随苑の青椒肉絲定食。朝はお茶漬けとあんこのギフェッリ。
 ただの日記なのにあまり書けないので今日読んだ小説からどこか引用しようかと思ったけれど、もうページをめくる気力はなく、早く布団にもぐることを欲している。それに頭の中は女の子のことでいっぱいなのだ。なんかこのへんの不満足が充たされないと次の余裕が出てこないような直覚がある。よろしい。壁は、のぼって壁のむこうを見るためにあるのだ!